澄んだ水ときれいな空気

長野県で依存症について考えています。

私もその一人

子育てしていた時代、良い主婦になろうと頑張っていた。自分の中の価値観では、良い主婦=良い人間だった。

 

「良い人間になろう・なろう」として生きてきた。そしてその考え方自体は今も続いている。始まりは親からの刷り込みによるもの。

私自身が信じやすく律儀な性格で、疑うことなくずっとそうしてきた。この性格は良いところと親からも言われながら、私にとっては生きづらいところ。

そして、良い主婦、良い母が育てた良い事を押し付けた娘は摂食障害になった。

頑張ることで、子どもが幸せになり、成功し、私は鼻高々となるはずだったのに。自分の事なんてわからないくらい、家族を優先して生きていたのに。

 

育った環境や考え方の刷り込みで、私は限りなく摂食障害に近い思考や嗜好を持ち、人間関係も苦手となり、子育てでも辛い思いをした。でも、その経験のおかげで、人として成長したことや仲間に出会えたことは人生において重要な宝物の発見だと思う。現在、辛さからはそれなりに乗り越えて、幸せを実感することもあり、平和もある。

なにより、かけがえのない家族がいることに気づかせてもらえたことが、私の得た物の中でも最高のことで、昔考えていた鼻高々な状態ではなくても大満足なのだ。

 

私の母は私をスケープゴートにした家族の中でファミリーヒーローや道化の兄妹達の社会的成功を自慢に生きているが、兄妹たちに気を遣い、自分の身体の不調で注目を浴びるという、なんだかかわいそうな存在だ。

しかし、それなりに他人と比べて幸せを  

感じているらしい。

それでいいのかもしれない。

いろいろ私の思い通りにならないこともあるけれど、それは当たり前なのかも。

 

私も「お母さんだから」とずっとずーっと頑張っていたよ。

今、話題になったことで、頑張るお母さんに賞賛の声があがり、頑張り過ぎていないと回らない仕事量への疑問や支援を考えていくきっかけとなるといいなと思う。

私の時には当たり前とほとんどの人が思っていたから。